【医学生の独り言】救急の授業で印象的だったこと〜心臓穿刺と医療訴訟〜

こんにちは、Retroidです。

最近救急とかの授業を受けているのですが、緊急時の医学的治療における「レスポンスの早さと正確さ」って重要ですね。

治療の開始がほんの1分遅れたり、優先順位を間違えたりすると、人の命に関わりますからね(^_^;)

僕も3年後は実際の医療現場に立っているとなると考えると、新しい環境へ挑むわくわく感よりも、致命的なミスしないだろうかという恐怖感が勝ります。

 

医学生のブログっぽく、今回は医療における訴訟リスクについて、救急の授業で印象的だったところをご紹介します。

 

今日の救急の授業で特に印象的だったのは、「どの医者も心臓穿刺をできないと、医療訴訟を起される可能性がある」ということです。

「心臓穿刺」とは、心嚢という場所に針を刺して、余計な心嚢液を抜き取る手技です。

心タンポナーデとは、心嚢液が何らかの原因で過度に貯留してしまい、心臓を圧迫してしまう病態のことです。

圧迫された心臓は、すぐに心停止が起こってしまうってわけです。

くわしくは「心臓穿刺 心タンポナーデ」と検索画面に入力して、グーグル先生に聞いてみると良いです。

 

ネットの発達って、ホント素晴らしいと思いですよね。

分からない単語一つ調べるにしても、すぐに調べられますし。

昔だったら、頑張って図書館とかで調べたんだと思います。

まー、ネットの知識は不正確なものも多いので、そこら辺には気をつけないければいけませんけど(汗)

 

おっと脱線しました。

 

さて、話は戻りまして、今回の授業で紹介されたのは、交通事故で運ばれてきた患者さんの話でした。

交通事故によって、脳外科の手術を受けたらしいのですが、交通事故の際の傷が原因なのか、心タンポナーデになってしまったそうです。

脳外科の先生は、心臓外科の先生にコンサルを取りましたが、休みの日だったかなんかで、心臓外科の先生が来るのに時間がかかり、患者さんは死亡してしまったそうです。

 

で、ここからが重要なのですが、脳外科の先生は「心タンポナーデの時に心臓穿刺をしなかった」という理由で、訴訟を起されて、4500万円くらいの賠償金を払わなければなかったそうです。。。

 

心臓穿刺っていうと、救急の先生か心臓外科の先生の管轄な気がしますが、いざという時のために、どの科の先生もマスターしていなければならない手技なんだ、という話でした。

 

なんというか、、、怖いですね、純粋に。

患者さんは気の毒ですけど、心臓穿刺って手技は、聞いた感じかなり専門的な手技みたいなので、脳外科の先生が心臓穿刺できなかったのも無理ないよなぁって思いました。

脳出血を見逃した」とか「脳梗塞を見逃した」といった、専門内の話じゃないわけですし。

 

BSLとかで練習できる?あるいはその類の講習会みたいなのがあって、練習できる?って話でしたが、その機会がある人って限られているでしょうに。。。

 

これから医者になる人間なので、多少医者有利な発言かもしれないですが、今の医療は、ちょっと医療従事者へ責任押し付けすぎなのでは?と感じています。

昔の医者は、医療の中心になって、ワンマンに色々決めていた節があるそうです(パターナリズムっていうらしいです)。

で、患者とかその家族も、医者が言っているならしょうがない、といった風潮があるそうです。

 

今は、昔の反省が強く効きすぎて、逆に患者有意になりすぎてる感じがします。

モンスターペイシェントとかが騒がれ始めたのも、そのせいじゃないでしょうか?

 

医者ってのは稼いでるんだから、それくらい当たり前でしょ?」という人もいるのかもしれないですけど、医者だって人間ですからね。

稼いでいる分、リスクは背負ってるわけで、こういったケースに関しては、稼ぐ分に比して、背負うべきリスクを超えていると思うんですよね。

自分の専門内ならまだしも、専門外の処置を求められたケースですからね。

 

もちろん、大多数の人が頑張って、専門外の知識もある程度マスターし、診療を行い、医療に貢献していくと思うのですが、

こうもリスキーだと、リスキーな科に人がいなくなって、いざ心臓穿刺等の措置が必要になった時に、診てくれる病院自体がない、なんてこともあるんじゃないでしょうか?

 

Retroidは割りとリスク計算してしまうタイプの人間なので、明日は我が身と思って、特に真剣に聞いて、将来選ぶ科の参考にしました。

こういったケースは、医者の卵が、「この科は訴えられるリスク高いからやめておこう」って判断材料になってしまうんですよね、要するに。

危険な場所で頑張っているお医者さんについては、法律である程度守ってあげるといった対応が必要なんじゃないでしょうか?

 

どんな患者さんも適切に救われる」社会は確かに素敵ですが、それを追い求め過ぎるが故、「リスキーな状態の患者さんを診る人がいない社会」になってしまわないことを祈るばかりです。

 

というわけで、今日はこのへんで失礼しますm(_ _)m

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