【もうすぐ2年目】生存戦略とプログラミング

プログラミングをはじめてそろそろ2年目に突入しようとしています。

最初はワクワクして開いていた俗に言う「黒い画面」も、今では平然と開いてコマンドを叩いております。

多分こんなやつが周りにいたら「うわー」ってなっているんでしょうね(笑)

実際そんな顔の人、同級生に見かけますし。

。。。慣れって恐ろしいですね(´・ω・`)

(なんも関係ないですが、約肉屋、焼き鳥屋で平然と人間の臓器の話をし始める医学生もなかなか「うわー」な存在だと、ふと思いました(笑)これも一種の慣れなんでしょうね。。。)

 

さて、最近、久しぶりにあった友達に、「何でプログラミングを続けられるの?飽きない?」的な疑問を投げかけられました。

ちょっと迷いましたが、

・数学の問題を解いているときの時間を忘れる感覚に魅せられている

・自分の将来を見据えた生存戦略として必要だと思っている

から、飽きずに続けられているのかな?と思います。

生存戦略っていうと、ちょっとカッコイイですけど、ようは「人生の中でコンスタントにお金を得て、不自由なく生きていくためにはどうすればいいか」ってことでして、タイトルとして収まりが良いので「生存戦略」と表現しております(笑)

時間を忘れる感覚

周りにプログラムを組む人がいないので、プログラミングする人の共通の感覚なのか自信ないのですが、数学の問題を解いているときの時間を忘れる感覚が妙に心地よくてプログラミングを続けている節があります

ゲームに集中しているときの感覚にも似ていますね。

集中して、ふと時計を確認すると、時間が2−3時間平気で過ぎてて、「あ、おれ集中していたんだなぁ」という満足感にひたることができます。

この感覚は、参考書見ながらプログラムを写経している時ではなく、自分でオリジナルのプログラムを組んでいる時に感じる事ができます

以前、C言語を勉強しようとして挫折した経験が有る、という話は記事にしました。

今はPyhtonというプログラミング言語をやっているのですが、この言語は、割と初期から自分のプログラムを組めるくらい、導入が容易です。

(まあそのくせ懐がめちゃくちゃ深い言語なんですけどね。)

Pythonで割と早い段階からプログラムを組んでいたので、C言語では得られなかった(得る前に諦めてしまったから)この感覚を味わうことができ、したがって今まで辞めずに続けてこられている、という感じです。

あと、組んだプログラムが自分の思い通りに動いて、着実に自分の業務を肩代わりしてくれている様を見るのは爽快です。

これも続けてこられている理由かな?

生存戦略

今、日本の職業事情は変わりつつあります。

人工知能、すなわちAIに仕事を取られるのではないか?という記事はいたるところで見られますね。

retroidは(順調に行けば)医学部を卒業しお医者さんになるわけですが、未来の仕事のあり方が変わるのは、医者も例外ではないと思います。

医者という存在自体は無くならないと思いますが、需要は少しずつ減っていくのかな?と思います。

もし仮に医者という仕事が無くなっても、プログラミングで食いつなげればいいよな?という思いは少しあります。

プログラマーという仕事は、これからますます増えていくでしょうから。

あと、医者という仕事の中には、結構な比率で事務作業(カンファレンスの資料を作る、実験の統計をまとめる、サマリーを書くなど)があるらしいのですが、話を聞いた感じだと、プログラミングを知っているだけでだいぶ効率化できるところが多いな、という印象を受けました

事務作業を極力プログラムで効率化し、残りの時間を患者さんへの対応や、自分のQOL向上に役立てる、そうすれば、他のお医者さんに比べて優位に立てるのではないか?そんな生存戦略を抱いてプログラミングをしております。

 

最後に

俗に言う「趣味と実益を兼ねて」という言葉が、僕とプログラミングの関係にピッタリかもしれません。

楽しいだけでも続かない。

かといって、実用面だけ追求していてもつまらない。

両方必要なんです。

プログラミングという1つの行為には、この両面が共存しているから面白いんだと思います。

というわけで、今日も僕は黒い画面と格闘します。

ああ、Fluent Pyhtn、難しいなぁ(笑)

(CBTの勉強やれ、いいから(笑))

 

 

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